考える人養成所
AIに負けない知性を身に着けませんか。

考える人養成所旗揚げの御挨拶
こんにちは、考える人養成所代表の島田久美子です。この度、考える人養成所を旗揚げしました。どうして、私がこのような活動を開始するに至ったのか、その意図と概略をお伝えしようと思います。
日本の教育には、暗記した正解を解答すると評価が高くなるという弊害があり、大学入試も暗記力が基本的なスキルとして要求されます。多数派がよしとする正解に賛同する、所謂「長いものに巻かれる」のが処世術とされる日本社会では、ものを考える力は培われません。しかも、書籍や新聞を読まない層も増えている中、多様な生成AIが急速に普及したこともあり、日本人の自分でものを考える力は急速に衰えているように思えます。
私は、東京大学を卒業後、新聞社、出版社で記者、編集者を務めた後、中高専門学校大学、塾予備校で小論文や主要教科を教えたり、教材を作成したりしてきました。小論文指導をした学生数は5千人を超えています。自らの思考力を高めるために、東京大学で修士号、日本大学で博士号を取得、科学技術政策論を主要テーマに、書籍も4冊出版しました。学生や社会人を支援する中で、キャリアコンサルタントやFP、行政書士等の資格も取得し、支援範囲を拡大中です。
この度、考える人養成所を旗揚げし、大学受験、公務員受験、ビジネスパーソン向けに、小論文指導やキャリアコンサルティング、企画力養成等、自分の力で本格的にものを考える必要がある方々へ様々なプロセスで思考する力を育成する活動を始めます。このサイトへの投稿の他、note、書籍出版等の情報発信行う予定です。
地方都市に在住なので、活動は限定的ですが、興味がある方は、お問い合わせ欄より、ご連絡頂ければ、返信いたします。
科学情報過程論Ⅰ
激変する科学技術に、情報共有がないまま巻き込まれるのは危険である。科学知と社会の関係性のあり方の決定に、市民が参画するためのシステム構築の可能性を探索する『科学情報過程論』第一弾。
科学情報過程論Ⅱ
科学技術立国が危ない! 今、市民社会から緊急提言。原発、AI、ジャーナリズム、科学技術政策、大学改革が国を滅ぼす! 社会システム論を使い、科学ジャーナリズムとの関わり方を考察する「科学情報過程論」第2弾!
実戦的小論文講座
自分を最大にPRする手法を伝授、相手の心を動かす文章作りを指導、社会の動きを取り込むコツを教授、小論文プロの実戦的アドバイス。
第1回:ソクラテスの「無知の知」——情報の渦で自分を見失わないための「問い」
「大人」の定義が崩壊した時代
かつて、世界の変化が緩やかだった時代、年長者や「大人」とは、多くの知識を持ち、正解を知っている存在でした。学歴や職歴、積み上げた経験こそが権威であり、後進に道を示す羅針盤だったのです。しかし、現代はどうでしょうか。
複 雑怪奇で予測不可能なVUCAの時代。昨日までの常識が、今日には「古いデータ」として上書きされます。SNSを開けば、真偽の定かではない「正解らしきもの」が濁流のように流れ込み、私たちはその渦に飲み込まれないよう、必死に情報を遮断するか、あるいは分かったふりをして自分を武装するしかありません。
今、私たちが取り戻すべきは、立派な肩書きや知識の量ではなく、2400年前の哲学者ソクラテスが説いた「無知の知」という謙虚な姿勢です。
「知っているつもり」という名の壁
ソクラテスは、当時「知者」と呼ばれていた人々を訪ね歩き、対話を繰り返しました。その結果、彼らと自分との決定的な違いに気づきます。それは、「相手は何も知らないのに知っていると思っているが、自分は何も知らないことを自覚している」ということでした。
現代の私たちは、スマホ一つで何でも検索できるがゆえに、この「知っているつもり」という病にかかりやすくなっています。
• ネットで読んだ解説記事を、自分の思考だと勘違いしていないか?
• 過去の成功体験という「経験」に胡坐をかき、目の前の新しい現象を色眼鏡で見ていないか?
「成熟」という言葉が死語になりつつある今、本当の知性とは、知識を溜め込むことではなく、自らの「知の限界」を常にアップデートし続けるプロセスそのものを指すのです。
思考の解像度を上げる「謙虚な問い」
変化の激しい時代において、情報の遮断は一時的な防衛策にはなりますが、根本的な解決にはなりません。必要なのは、情報の波に飲まれず、かといって拒絶もせず、「自分は本当にこれをわかっているのか?」と一歩立ち止まって問う勇気です。
学歴や職歴、過去のプライドを一度脇に置き、目の前の現象に対して「赤ん坊のような好奇心」と「哲学者のような疑い」を持って向き合ってみてください。
• 「なぜ自分はこれを正しいと思うのか?」
• 「反対の視点から見たらどう見えるのか?」
「私は何も知らない」という地点からスタートする思考は、驚くほどクリアで、自由です。思い込みという壁を壊したとき、初めて世界の本当の姿が見え始め、あなたの思考の解像度は飛躍的に高まります。
結びに:問い続けることこそが、唯一の武器
「無知の知」とは、決して自分を卑下することではありません。むしろ、無限の可能性に対して心を開く、最も知的な態度です。
正解のない時代を生き抜くための唯一の武器は、検索エンジンの中にある情報ではなく、あなたの中に眠る「問い続ける力」なのです。今日、あなたが「当たり前」だと思っている一つの事柄について、「本当にそうか?」と自分に問いかけてみることから始めてみませんか。
第2回:デカルトの「方法的懐疑」——すべてを疑った先に残る、自分だけの「土台」
砂上の楼閣で立ち尽くす現代人
フェイクニュース、AIが生成した精巧な嘘、SNSで拡散される出所不明の正義。私たちは今、かつてないほど「信じていたものが足元から崩れる」不安の中にいます。
中世ヨーロッパにおいて、人々の精神的な支柱は「キリスト教の神」という唯一絶対の存在でした。しかし、科学が発展し、価値観が多様化した現代において、私たちはその全知全能の守護者を失っています。絶対的な「正解」を失い、流転する情報の海で溺れかけているのが、私たちの現状ではないでしょうか。
ここで、17世紀の哲学者デカルトが提示した「方法的懐疑」という思考の武器を手に取ってみましょう。
「方法的懐疑」:あえてすべてを否定してみる
デカルトは、確実な知識を築くために、少しでも疑わしいものはすべて「偽」として退けるという過激な実験を行いました。
- 自分の感覚(目は錯覚を起こすのではないか?)
- 外部の世界(これは夢を見ているだけではないか?)
- 数学的な真理(悪霊が私をだましているのではないか?)
彼はあらゆる前提を破壊し、思考の更地を作ろうとしたのです。情報遮断をして閉じこもるのではなく、「入ってくる情報をあえて一度すべて疑ってみる」。これが、思考の感度を取り戻すための第一歩です。
「我思う、ゆえに我あり」——理性が開く新しい世界
すべてを疑い尽くし、何も信じられなくなったその極限で、デカルトはたった一つだけ、どうしても疑いきれない事実に突き当たります。
「すべてを疑っている、この自分の意識(理性)が存在することだけは、疑いようがない」
これが有名な Cogito, ergo sum(我思う、ゆえに我あり) です。神でもなく、伝統でもなく、他人の意見でもない。「今、ここで考えている自分」という理性の存在を、世界を記述する新しい中心に据えたのです。
理性を頼りに、自分にとっての世界を手に入れる
デカルトのこの転換は、人類が「自らの理性で世界を理解し始める」という宣言でした。
現代の私たちは、インフルエンサーの言葉やアルゴリズムが勧める情報に、自分の思考を預けすぎていないでしょうか。それらは他人が作った「支え」に過ぎません。それらが消えたとき、あなたには何が残るでしょうか。
- 情報のフィルターを通さず、自分の頭で「なぜ?」と問うこと。
- 感情的な反応の前に、論理的な一歩を踏み出すこと。
確たるものを失ったこの時代だからこそ、私たちは再びデカルトのように、自分の「理性」を唯一の支柱として立て直す必要があります。他人の言葉で埋め尽くされた世界を一度リセットし、自分の理性という筆で、自分にとっての世界を記述し直してみませんか。
核心:思考の「土台」を自らの手で
思考を止めることは、自分の人生のハンドルを他人に渡すことと同義です。「すべてを疑う」というプロセスは、一見孤独で厳しいものですが、その先にしか「自分自身の真実」はありません。
自分の理性を信じ、疑い抜いた先に見つけた確信こそが、荒波のような現代を生き抜くための揺るぎない土台となるのです。
第3回:演繹法——感情の波に飲まれない「論理の羅針盤」
「空気」で動く時代の危うさ
私たちは今、SNSの「炎上」や、場の「空気」に支配されやすい社会に生きています。客観的な事実よりも、その場の感情や「なんとなくの正解」が優先される。しかし、変化が激しく、背景の異なる人々が交錯する現代において、感情だけに頼る判断は非常に危険です。
そこで必要になるのが、古代ギリシアのアリストテレスが体系化した「三段論法」に代表される演繹法です。
演繹法とは何か:A=Bから導かれる必然
演繹法とは、「普遍的なルール(大前提)」に「目の前の事実(小前提)」を当てはめ、「結論」を導き出す思考法です。
【演繹法の例】
- (大前提)日本人は感情を重んじる性質がある。
- (小前提)感情を重んじる人は、芸術を深く愛する。
- (結論)ゆえに、日本人は芸術を愛する。
一見すると乱暴な決めつけのように感じるかもしれません。しかし、もし前提(1と2)が正しいとするならば、結論(3)は100%の確率で正しくなります。 これが論理の持つ「強制力」であり、美しさです。
なぜ今、日本人に「論理」が必要なのか
多くの日本人は、論理よりも「共感」や「察する文化」を好みます。しかし、価値観が多様化し、前提を共有しない相手(外国人、異なる世代、AIなど)と協働しなければならない現代では、共感だけでは限界があります。
論理の鎖を組み立てることは、以下の2つの大きなメリットをもたらします。
- 自分の羅針盤になる: 感情が揺れ動くパニック時でも、「そもそも、この原理原則に従えば、結論はこうなるはずだ」と冷静な判断を下せます。
- 他者を説得する共通言語になる: 感情は主観的ですが、論理は客観的です。背景が違う相手に対しても、論理の筋道さえ通っていれば、納得を引き出すことが可能です。
核心:感情を切り離し、論理を「武器」にする強さ
「冷徹だ」「理屈っぽい」と言われることを恐れる必要はありません。不確かな時代において、論理的に考えることは、自分自身を情報の濁流から守る「防波堤」を築くことと同じです。
もちろん、人生には感情や芸術を愛する心も大切です。しかし、いざという時に「論理の鎖」を繰り出し、迷いの中に一本の筋道を通せるかどうか。その強さが、あなたの未来を予測するコンパスとなります。
今日の問い
あなたが今、悩んでいる問題について、無理やりにでも「三段論法」に当てはめてみてください。
- 「自分は〇〇というルールを信じている」
- 「現状は△△である」
- 「だとしたら、すべきことはこれだ」
感情を一度横に置いて導き出したその答えに、意外な突破口が隠されているかもしれません。

プロフィール
島田久美子
静岡高校卒。東京大学農学部卒。東京大学情報学環学際情報学府修士、日本大学大学院総合社会情報研究科博士。読売新聞社記者、河出書房新社編集者。中高専門学校大学、塾予備校で教鞭を執る。キャリアコンサルタント。行政書士。主著『実戦小論文講座』『科学情報過程論Ⅰ』『科学情報過程論Ⅱ』(遊友出版)


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